東日本大震災 | 中学生我が娘ながら「ばびぶべぼ」から息子の「はらひれほれ」

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  •  投稿日:2015.05.19
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南相馬に戻ってきて2か月半

大震災で避難生活を経験し、悩みながらも南相馬に戻って早2か月半。

先行きは不安な毎日ではあるけれど、中学3年の息子はお馴染みの同級生と暑くぐったりするような教室でも、外で運動できなくても、給食も今までのようにはいかなくても、それなりに学校生活を過ごしています。

保護者はみんな思っているでしょう、こんな不便なら他の県に転校して、できるだけ普通に生活させてやれれば良かったのかと。

でも、家族ばらばらに生活するのと、窮屈でも家族一緒の生活をとるのはどっちが良いのでしょう。
正解はありません。

「かわいそうだよね」

うーん、確かにかわいそうなんだけどそれはみんな同じ。かわいそうじゃなくて、こんなもんだと乗り越えいってほしい。こんな不便な状況でまともに勉強なんてできないでしょうなんて思って負けちゃダメ!

「やっぱり、大変だったもんね、勉強できなくて仕方ないよね」
「被災地だもんね、集中できなかったよね、仕方ないよね」

いやだーそんな周りの声に負けちゃダメー!今は底力をつけるときだ!必ず強くなれるから。
一日一日しっかり、生活していこう。

・・・さて、そんな中うちの息子は・・・

少しは机に向かうようになった様子は見えるけどテストの結果に反映されません。良い脳みそを持っているのだから、自己管理を覚えて、自力で乗り越えられる人になって欲しい。

それが今、この時なんだよ。

見守っているのが、これまた、てーへんです。時々、げんこつしたくなります(笑)








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東日本大震災以来・・・

前回の記事投稿の時はPTA役員から降りたとかやっぱり役員やるとか平穏な記事を書いていたわけですが、3月11日の震災の被災者になってからしばらく記事を書けないでいました。

3月11日は福島県浜通り地方も中学の卒業式でして中学2年の息子は在校生として
卒業式に参列、無事に卒業式を終え部活も休みで家にあの時間は私と二人で居ました。

私はパートの仕事を早めに終えて旦那の父母の用事が4時半からあったので家でのんびりしてました。まだ時間はあるなぁ・・・なんてパソコンをのぞいていたら携帯の緊急速報のウォンウォンウォン♪

え!

と思っている瞬間から地震が始まり揺れが強くなってきたときから数分間リビングのテーブルの下にもぐりこみ揺れがおさまるのを待ちました。長かったですね。

2日間の断水の後水道も復旧し、電気も使えていたのでそのままであれば自宅に居る事ができたのですが、福島第一原発の爆発があり南相馬市の30キロ圏内に住む私たちは避難をする事にしたのでした。

原発事故さえなければ南相馬市も早く復興できるのに避難区域になっているばかりに手つかずの場所もあるわけです。悔しい思いでいっぱいです。
 
しかしながら、原発の爆発があっても避難をしないでそのまま屋内待機の状態で住んでいる方たちも多くいましたし、旦那も仕事の都合上南相馬(原町区)から動くことができずそのまま住んでいます。

今も放射能で全く心配ないとは言い切れる状態ではないのですが、あの時避難して良かったのかどうかは今でも疑問です。いわきに抜けようとしたけれど放射能がかなり飛んでいると情報があり、飯館を抜け二本松入りしました。そこで被ばく検査を順番待ちして受けOKが出たのち二本松市役所で
2時間以上待ち、岳下体育館を指定され避難しました。夜まで毛布1枚と乾パンのみ、暖房が無かったので、大きな余震を感じながらあまりにも寒くて私は3日持つだろうかと不安に思いました。

夜中に予備の毛布が届きなんとか眠ったものの暖房が無かったのは辛かったです。結局その岳下体育館は二本松市役所の手違いで浪江住人の避難所だったらしく、出ていけとは言えないですが南相馬の情報がはいらないので自分たちで得てくださいと市役所の方に念を押されたことは精神的に悲しくなりました。

結局は岳下体育館に4泊した後、一緒に避難した旦那の職場の同僚一家と知り合いの千葉へ避難することに悩みつつも覚悟し、移動しました。早いものでお世話になってから1か月たってしまいました。

そして4月22日、政府から緊急時避難区域に指定された事でいったんは屋内退避が解けたようです。緊急のときには逃げれるようにしておかなくてはならない地域になりました。屋内退避よりも良いのか悪いのかわかりませんけど、子供の中学校も鹿島中学校の空き教室で、原町高校も相馬高校の空き教室でサテライト校として始まるので、GWが終わったら南相馬野の自宅に帰ろうと思います。

そしてまた、この状態で戻って良かったのか後で悩む事になるんだろうなぁ。

避難したこと自体も悩むし、千葉へ避難した事さえも悩み、そして南相馬に戻ることも悩むのです。
それでも何もしない事よりは行動していないと、なんだか体も頭もおかしくなりそうなので多分これでいいのだと思い込むしかないのです。

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